曖昧な記憶の中に
小学校の1年の時、宿題や明日学校に持って来るものを、帰り際に必ず先生に確認しに行ったのが始まりかもしれない。
始まりとは、記憶を曖昧にしておいて、それを確認するために、好きな人と話すきっかけをつくるという、私の編み出したコミニュケーションの手段のことである。
おませさんだった私は、小学校に入学して初めて出会った担任の男の先生が大好きだった。
先生との最初の出会いのシーンを、最近鮮明に思い出した。入学式を終えて初めての教室に入り、先生が黒板に大きく「北川幸男」と書いて、『ボクの名前は「きたがわゆきお」です。北の川の近くで生まれて、シアワセな男だから、「きたがわゆきお」と言うのです。』と黒ぶちのメガネの奥の黒目がちなまつ毛の濃いクリクリした笑った目で、私をじっと見つめながら自己紹介したシーンだ。
今となっては、小学一年生に向って、先生が漢字で自分の名前を黒板に書いたのか?とか、本当に私だけを見ていたのか?、とか、多々疑問は残るが、そんなことはどうでもいいのである。
私の心をワシヅカミにした、そんなに鮮明なシーンが私の中に残っているということの方が、私には大事なのである。そして、先生と話したくて、だからと言ってただ世間話が出来るほど人懐っこい方ではなかった私が「記憶の曖昧さをその日のうちに確認する」という優等生的コミュニケーション手段を編み出して、先生に接近するべくけなげに努力していたのだ!という発見の方が、重要なポイントなのだ。そう!決して私は、単なる忘れん坊という訳ではなかったのだ!
これは、大人になった今だから、この手段を編み出せしたあの頃の私の心理が読めるようになったということに違いない!いや、単に理屈っぽくなったというか、都合よく解釈できるだけの図図しさを身に付けたということだけかもしれないけれど・・・(^^;)
実は、きたがわ先生との出会いの思い出は、この帽子をなんとなく眺めていたときにふと思い出したのだ。
シゾール(麻)を石目編にして作られた帽体を使って、トップの大きな木型とRがきつめなブリム用木型に入れて作られたこの帽子に、オーガンジーのフワフワしたリボンとコサージュを付けて完成したとき、何故かとっても懐かしい気持ちになったのだ。
あまりにもデリケートなこの帽子は、実際に被ることはほとんど無いけれど、部屋の一番いい場所に飾られている。
そして、この帽子を眺めていると、完成したとき同様何故か懐かしい気分になって、私の頭の中の曖昧な記憶たちを呼び覚ましてくれるのだ。まるで、占い師の覗く大きな水晶球のような存在。
記憶が曖昧だからと質問ばかりしていても「かわいい」と思ってもらえる年齢はトウに過ぎてしまったことに気付いた今、私はドンナ作戦にでればいいのだろう?
私の頭の奥深くに仕舞い込まれた記憶を呼び覚ますのは、新しい発見を生み出すかもしれないよと、このモスグリーンの帽子は教えてくれているのかもしれない。そして、記憶が曖昧なのも、長い人生、案外楽しく生きられる秘訣かもよ、ともね(^^)
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“曖昧な記憶の中に”へ1件のコメント
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こんばんは。
やっぱいいですね~ひろりんさんの帽子。
手作りに見えないですね。器用~。
コメントもありがとうございました。
また遊びに来て下さいね。
ひろりんさんって帽子を作って販売とかしてるんですか?
前から思ってたんですけど。