中也の帽子
日本人なら誰もが見たことあるであろう
『帽子を被った詩人・中原中也』の写真。
実はこの写真、中也が世に「詩人宣言」するために撮
った入魂のセルフポートレートだったらしい。
18歳で詩人になるために上京したものの、同志であっ
た友人の死、そして同棲相手を文芸評論家小林秀雄
に奪われるなど、苦境に立たされ孤独感を強めていた
頃に、自ら一流写真館で大枚はたいて撮影したという
写真。真っ黒いマントとすっぽり被った帽子で強調され
たその真直ぐな眼差しは、誰が何と言おうと「私は詩人
である!」と世に宣言する為のもの。その出で立ちは
中也の思い描く「これぞ詩人」という精一杯の演出だっ
たに違いない。
明治から大正、昭和初期にかけて、帽子、特に男性帽
は、身分や職業、階級、さらには被る人の知性や品性
をも表していた時代。それに反発するように、あえて帽
子を被らないという、ひと癖もふた癖もある思想や生き
方を選んだ人々もいたらしい。
名門出身の両親に何不自由なく育てられた中也は、
幼い頃常に上等な帽子を被り、こちらをまっすぐ見て
写真に納まっていた。それが大きくなるにつれ、世間を
斜めから見るような眼差しと、学則である着帽を拒否し
た写真へと変わっていったという。そしてその後放蕩
のさなかに撮影した「詩人宣言」は、再び帽子を頭に
載せて、こちらをシカと見つめている。
ところが、実はこの帽子、幅広の飾りリボンより上はな
く、丸く見えるのは髪の毛に覆われた頭の形そのもの
らしい。写真解読の技術が進歩して判明したとのこと。
大きさからしても、子供用の帽子を独自に加工したも
のか、もしくは婦人物のサンバイザーだったのかもし
れないともいわれている。
頭の天井が抜けた帽子をわざわざ選んで被った中也
彼は何を思っていたのだろうか?「詩人宣言」だけでな
く、身分や職業、さらには年齢や性差も飛び越えた何
かを目指していたのだろうか?もしかして超人的な存
在・・・とか?
それにしても、彼の思惑とは裏腹に、当時はかえって
馬鹿にされたというあの写真。それが『帽子を被った詩
人・中原中也』として後世の私たちに強く記憶されるこ
とになったのだから、作戦は大成功だったということに
なるだろう。ただし、サンバイザーにマントという奇妙な
出で立ちが写真にはっきりと写っていたのなら、又違っ
た展開になっていたかもしれないけれど・・・(^^;)
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