見えなかった「とっておきの帽子」


ピンクベレー主人公のソフィーが帽子屋だという事に引かれて観た「ハウルの動く城」。その頃、帽子創りの面白さに目覚めて、寝ても覚めても帽子のことを考えていた私は、不満だらけの顔をして劇場を後にしたっけ。


なぜって、ソフィーがちっとも帽子創りを楽しんでいなかったから!もちろん帽子を被ることさえも!


ソフィーが被るヨレヨレの麦藁帽子は、どう見ても「しがらみ」や「固定概念」からの重圧の象徴として使われているとしか思えなかった。後半になって生き生きとしていくソフィーは、もうちっとも帽子を被らなかったし。


確かに、心理学的に帽子がそういう使われ方をすることはあるらしい。


心に傷を負った人が人目を避けるために帽子を深く被るとか、親から日常押さえ付けられている子供の絵には大きな帽子を被った子供が出てくる場合があるとか・・・。確かにそんな事もあるだろう。


でも、よりによって天下の宮崎駿監督が描く作品の中では、帽子をそんな役割で登場させて欲しくなかったのだ。そして、私だったら、最後はソフィーが自分のために創った「とっておきの帽子」を被って、すがすがしい笑顔でハウルと並ぶ姿で終わらせるのに!っと息巻いて周囲に話した記憶まであるのだ。


しかしなぜその時、私の間違った思い込みを正してくれる人がいなかったのだろうか?・・・いや、きっと、私の余りに強い思い込みと気迫で、うなずくことしか出来なかったのかも知れないなぁ・・・。それ程に、その頃の私は帽子創りに燃えていて、帽子への思い入れも激しく、一途で青かったから。恋愛なら初期段階って所だろうか。


 


実はつい最近、私のこの思い違いをさらりと指摘されたのだ。それも、「君はちゃんとこの映画を観ていないね」とは言わず、「もう一度見てみれば?」とDVDを送ってくれるという、大人の思いやりあるご指摘。帽子熱も安定して少し大人になった私は、何かを感じて再度観てみることに・・・。


「あぁ・・・。」


最後まで観終わった私は大きなため息を付いた。私だったら・・・どころか、最後はソフィーが「とっておきの帽子」をちゃ~んと被って、すがすがしい笑顔でハウルと並ぶ姿で終わっているではないか!


私ったら、最後の「とっておきの帽子」さえも見えないほど、思い込みでカッカしていたという事になるのだ。


 


私が帽子を深く被って顔を隠したくなったのは、言うまでもない・・・(^^;)




 

見えなかった「とっておきの帽子」”へ2件のコメント

  1. saki より:

    あのね、いつも“ひろりん”の日記を読んで思うんだけど、すてきな文章だよね。。読んでいてワクワクして“ふぉわん”ってなれる!何かコラムとか書いているの?

  2. saki より:

    本当は映画館に観に行くのを楽しみにしていた『ハウルの動く城』なんだけど、テレビや雑誌で『木村タクヤの声が。。。』なんて言う人や、ブツブツ言うコメントを見てしまったら、なんだか行く気がしなくなってしまって。。。
    少しずつ気持ちが遠のき始めていた頃、ヒロリンの日記のページを見たの。。。
    そうしたらやっぱり観たくなって、TUTAYAに行って借りようと思っても、いっつもレンタル中。。。。
    やっとやっと借りれたの!
    私は、帽子屋さんではないから、ひろりんとはまた違った視点で観たんだけれど、今の私の不安定な状態には、『前向きなソフィー』が観ていて羨ましくて、ちょっと元気になれたよ!!
    最後にちゃんと帽子かぶっていたね!
    ちょっと元気が無い、今の私にちょうど良かった!

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