邪念のない時間


夜中にふと庭に出ると大きな女郎蜘蛛が巣をつくりはじめていた。編み始めの一目を作るように脚を擦り合わせ、まずは外形から位置決めをしていく。


編み物というと中心から編むかもしくは端から編んでいくように思うけれど、蜘蛛は周りから攻めていく。木の枝と枝の間を吐出した糸を使って上手に移動しながら輪郭を作り、徐々に中へ中へと進んでいく。


 


 


以前、インディアンが魔よけのために作るという、枝と麻紐を使ったドリームキャッチャーというものを作った事がある。そのつくり方は、蜘蛛が巣を張るように、気に入った枝を輪にして、それに紐をかけながら輪郭から中心に向けてひたすら編んでいくものだった。そしてその工程は途方もなく根気の要る作業。しかし、いつの間にかその単純な作業に自分が入り込んでしまうような、静かなトランスが待っていた。自分の中に眠っている邪念が、一目一目作られる編目に絡めとられていくような感覚。そしてその分、生身の自分が軽くなっていくような感覚。闇夜に巣を作る女郎蜘蛛を目の前にして、私はその感覚を思い出していた。


 


 


少しずつ作られていく巣は、月の光を浴びて怪しく光っている。


こんなに大きな蜘蛛の巣、いつ頃完成するのだろう?そんな私の心配をよそに、次の日の明け方には、夜露に濡れた蜘蛛の巣は、朝陽に照らされてキラキラと透き通った光を放っていることだろう。


 


 


一方、キラキラ光る夜露も乾いた頃、やっと私は目を醒まし、外に出る。そしてその大きな蜘蛛の巣は、眠気まなこの私の頭に引っかかり、憮然とした私の持つ竹箒によってその姿を抹殺される。深夜から陽が昇る間に餌食となった虫たちの死骸とともに・・・。それでもまた夜になれば、妖しく光り輝く素晴らしい巣を女郎蜘蛛はつくるのだろう。きっと邪念など無しに。


 


私も女郎蜘蛛を見習って、明日もまた帽子を創ろう。帽子を創っている間は、邪念のない無垢な状態の私になれるのだから。


 


 


写真:


 帽子の朗読会「蜘蛛の糸/芥川龍之介」のためのカクテルハット